毎年恒例の松山春祭りはここ道後の道後温泉祭りからはじまります。
すこし、道後温泉祭りについて紹介します。
道後温泉祭りは、明治36年道後温泉震災復旧50年記念大祭が催され町を挙げて賑わい恒例化していましたが戦争を機に途絶えてしまったそうです。
1946年に南海大地震がおこり、道後は源泉が止まるといった危機に陥りました。
しかし1947年、奇跡的に再び源泉が湧き始め、道後温泉復興祭として湯の神に感謝する湯祈祷と合わせて行ったのが始まりです。
南海地震の後は観光客を呼び戻そうと大人も子供も一家総出で温泉祭りに参加して踊り
交通を遮断して、各町で連を作り町の人々が音曲を奏で、男衆が鉦、太鼓をたたき、女連が三味線を弾き仮装行列や手踊りを競い合って道後温泉本館前や、道後公園、道後温泉駅前、道後商店街と踊り、練り歩いていたそうです。
駅前と本館前の広場でスピーカーから曲を流せば、その場で踊りの円陣ができ、
町の人が主役で芸妓も踊りに参加し道後湯之町の住民が温泉に感謝する祭りとなりました。
その後、1950年に「道後温泉まつり」となり、1983年からは「松山春まつり」の行事として実施されるようになったそうです。
さて、今年は、道後温泉本館改築120周年の記念すべき年です。
この道後温泉祭りも例年3日のところ5日に拡大し、華やかに行われました。
温泉踊りは、大人、子供も多数参加し、芸妓さんや女神輿の方々も加わり、当時のにぎわいを取り戻そうとしています。
また今年は、道後の新しい盆踊りである道後湯玉音頭が加わり、駅前では華やかさを増すため、150個の提灯を飾りますます盛り上がりました。
試行錯誤の末 完成させ、点灯した時の駅舎からの眺めは圧巻!!
昔のにぎわいを取り戻すと同時に新しい歴史の一歩が踏み出せた瞬間でもありました。
新しい道後湯玉音頭(ボンダンス)は、この提灯の下で盛大に行われ、見物していた旅の方も次第にカラダが動きだし、踊りの輪の中に入ってみんなで手をつなぎます。
曲が流れると自然に円陣ができ踊りだしていた、私の知らない昔の祭りに少しだけでも近づけたような気がしました。
温泉が止まり再び源泉が湧き始めた時、道後温泉の恩恵を受けている人たちの感謝の気持ちを盛り上げ活気づけたのは踊り、、、
地元の者が本当に楽しく踊ることで、旅の方も見るだけでなく一緒に踊りたい、また見たい、またここに来たいという思いにつながり今の道後があるのだと思います。
ここ数年内に道後温泉本館の耐震改修工事をする計画があります。
今の道後温泉は120年前に建てられた本館が無くてはならない存在であり
100年先もこの本館が存在するために必要な工事であることも理解しています。
それと同時に、この工事により道後温泉の恩恵で生活をしている私達は過去に体験した南海地震で源泉が止まった時と同様の危機的状況になるのは避けられないだろう・・・という不安も抱えています。
しかしこの道後には、湧き出る温泉に感謝する祭りと地元の人間が愛する踊りがあり
さらに誰もが楽しめ、踊りたくなる新しいボンダンスも誕生しました。
これから先どのような状況になろうとも
50年先、100年先いつまでも提灯が華やかに彩り、流れ出す曲とともに輪ができ、手をつなぎ、笑顔で温泉に感謝して踊る。
そんな人々の心の支えになるような祭りにしたいと思います。
150個の提灯が華を添えてくれました。
湯玉音頭
女神輿のみなさん
街頭踊り
提灯取付け…ハヤシ電工様ありがとうございました。
道後商店街振興組合青年部
道後商店街振興組合の歴史は古いものの、現在の青年部メンバーが、有志で集まり、青年部として本格始動してからはまだ1年。
歴史ある道後の魅力を伝えるとともに、「新しい道後への挑戦」など精力的に活動中。
毎週、水曜の夜、各店舗が閉店した後、我々は組合に集合し、青年部会を開いている。
この部会では、これからの道後に対する夢やビジョンを語り合いながら、情報の共有、イベントetcの企画なんかを、和気あいあいと、かつ、熱すぎるくらい熱苦しくやっている。(学生時代のサークルのよう・・・)
毎月第4日曜日、湯上り朝市出店・・・・・ハイカラせんべい(青年部作)
伊佐庭如矢の顕彰・・・・・・・・・・・・ボランティアガイドさんと連携し、紙芝居
道後での各種イベント。・・・・・・・・・初子祭・温泉祭り・道後村夏祭り・秋祭り(湯之町大神輿)etc
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