「四国の美しい店」、「BRUTUS」の喫茶店特集など出版業界をはじめとして中央から評価される島のモノ喫茶 田中戸。オーナーの田中章友と私は、15年以上前からの知己である。
同じ年の同じ月に生まれた私と田中は、それぞれの幼少期を経て同じ高校に通うことになった。新田高校で共に3年間を過ごすものの、在学中は直接の交流を持たぬまま卒業し、再びそれぞれの青春を過ごしていた。二十歳を過ぎたか過ぎないかという時に、私と田中はようやく互いを認識する事になった。
記憶にある限り、彼と始めて言葉を交わしたのがロープウェイ通りにあった「クーニーカフェ」の店内だった。大街道からすぐ近くではあるものの、2階にあり口コミで人の集まる店だった。音楽とスポーツの好きなオーナーの人柄と、店の自由な雰囲気に惹かれて私と田中はその店に通い、そして親しくなった。短い期間だったが、私たちはいわゆるアルバイトとしてコーヒーの淹れ方や、オムレツの作り方を教わったりもした。その経験は私の今に少なくない影響を与えている し、田中にとってもそうではないかと思う。
彼はその後三重県や佐賀県で暮らし、それぞれ特徴的で意義深い生活を送ったと聞いている。30歳を過ぎた頃に出身地である怒和島や、高校時代に暮らした三津浜についての思い入れが巡ってきたそうだ。そして2010年の夏に私と田中は再会し、その秋に田中戸が開店する。
田中戸の建物は、以前はスポーツ用品店と住居として使われていたものだ。シャッターしかなかった正面に、大きなガラスを嵌め込み、古い建具を合わせて壁を 作るところから店づくりが始まった。工事の大部分は友人の大工と田中がほぼ二人で行ったそうだ。彼が佐賀県から持ち帰った古い卓球台の半分が、開店当時の 田中戸における唯一のテーブルだった。
その後彼は古い家屋が多く残る三津の利点を活かし、次々に古物を譲り受け、什器や装飾品として利用している。ただ古いものを買い集めるのとは違い、様々な縁あるものが少しずつ集まり、独特な雰囲気を獲得している。その選別眼には時代に対する敬意と、身近なものへの愛情を感じる事ができる。
私たちより上の世代の人に言わせると、田中戸は入り難い店だそうで、なるほどと思わないでもない。確かに何をいくらで売っているのか、店の外からではまるで分からず、営業しているのかどうかすらも怪しい時がある。もう少し親切でもいいのではと思うが、田中自身は決して排他的ではないし、友人相手の小さな商売をしているわけでもない。彼はきっと、自分の意思で入ってくる客に対し、心を尽くしたいと思っているのだろう。
今の三津浜を面白いと評価する人が幾人かいるとして、その変化の契機として見過ごせない事の一つが田中戸の開店だろうと私は思っている。
この記事は以下のサイトからライターの許可を得て転載しています。
『三津盛書 (三津浜ブランディング計画)』
アムロ
松山大学で経営を、法政大学で哲学を学びました。プラトン、カ ント、デリダが好きです。
デザインというのはそのものの本質をできる限り純粋に伝えるための技術だと考えています。
今後は三津浜という町をデザイ ンしようと、身近な仲間と協力していろいろやっていきます。
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