オーストラリアに住んでいた時に、
10年間で数回だけ帰国しました。
その時に、よく聞かれたのが
「ごはんは美味しいか?」っていう質問
ごはん、すなわちお米です。
日本人は日本のお米が一番と思ってます。
もちろん、日本のお米はおいしいですが、
実はオーストラリアのお米は
1905年(明治38年)に愛媛・松山から
高須賀譲が豪州のメルボルンにわたり
日本から持ってきたお米の種を植え
米作りをはじめました。
当時、豪州にはお米はなく
日本人(松山)がはじめて商業生産に成功。
その成功したのが今から100年前の1914年でした。
今年はちょうど100年目にあたります。
高須賀譲はオーストラリア米の父として
日豪のかけはしとなりました。
今、豪州でお米を生産している企業は
「サンライス」というお米をつくり
豪州最大の穀物会社となりました。
明治時代に愛媛・松山の方がオーストラリアに渡り
豪州で歴史を作られたことに誇りをもって
今からは私自身がその後を継ぎたいという気持ちを伝えに
先日、高須賀譲氏のお墓(末広町)に行ってきました。
この記事は以下のサイトからライターの許可を得て転載しています。
『「one hundred beans」百粒のコーヒー豆』
藤山 健
カフェオーナー at the blue marble
大阪芸術大学映像計画学科卒業 大阪毎日新聞に勤務後フリーとなりオーストラリア(シドニー)に1990年〜1999年まで在住。海外で得た知識や人脈を使って幅広い情報を伝えていきます。カフェを経営するかたわらカメラマンとして世界のカフェを取材。SCAAアメリカスペシャリティコーヒー協会カッピングジャッジ(コーヒー鑑定)や農林水産省6次産業プランナーも勤める。知識をひろめ、変えれるものは変え、守るものは守る。愛媛をもっと世界に発信していきたい。
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